fumicos

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今更 code コマンドを iTerm から叩けるようにした。


国語、数学、社会、理科、英語。大学受験に必要な主要5科目。
国語と社会は脳死状態で勉強していたと言っても過言ではない。

私は物理選択だったが、生物の成績がこの中で一番良かったことはあまり知られていない。

小学生の頃の漢字ドリルは、個人的にはゲーム感覚だった。1度やれば部首も読みも書き順も憶えられた。私の学力のピークだったように思う。
そして、高校で習う生物。これがまた漢字ドリルと似ていた。1度ということはなかったが、割りと「スッ」と入ってきた。でも、悲しいかな、当時の私は「勉強」において複雑そうで憶えにくそうなものを好まなかったんだと思う。それもあって、物理は現象を式にできればよく、また内容も身近で「面白い」と感じたから物理選択にした。とかなんかそれっぽいこと言ったけど、ただ逆張りしていただけなのかもとも思う。

前置きが長くなりすぎた。国語と社会だ!

まず、国語。センター試験(共通テスト)用の国語は本当に苦手だった。この手のものは文章を読まないで解くのが一般的だ。 なぜそうなのか。理由は、試験である以上多くの受験生に同じ正解をしてもらわないといけないから。これが全て。英語も同様だ。
でも、英語よりも国語のそれの方が、私には難しかった。そのテクニックを全く理解できなかったんだと思う。ただの苦痛でしかなかった。

そして、社会。大学受験では、現代社会と政治経済を中心に、単語とざっくり時系列を把握するのみだった。歴史など言語道断。歴史番組を観たりするのは好きだったけど、試験となると端から無理と決めつけた。

そんなこんなで、最近、国語→文学、社会全般の書籍を乱雑に読み漁り始めた。 「複雑な現代社会に鋭いメスを入れ」るためには、なぜ今こうなっているのかをざっくり知ると、本質的なことが見えてくる(ような気がしている。ここで言う「本質的」とは、私の考えたことに他ならない)。問い「なぜ」を調べまくること。その「なぜ」が書籍には詰まっている。

「時代は繰り返す」と言うけれど、まったく同じということはなく、似ている現象に「令和版!」みたいな接頭辞がつく。


「知」とは何たるかを考え直す今日このごろ。知を以て想像できる世界は宇宙よりも広い。人類にのみ想像可能な世界。
人って面白い。そんな人が形成している社会はもっと面白いに違いない。

今日も青空文庫を眺めながらぼんやり…。